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母性型経営

池田弘子の母性型経営の神髄~日本民族としての経営、人材育成

池田弘子の母性型経営の神髄

〜 日本民族としての経営・人材育成〜

 

 

もう後戻りできない女性の社会進出

 

時代の変化についていけるのは女性です。

 

何故なら女は出産があるので生物的にも生き残るために女性は変化するように生まれているのです。

 

また、娘、嫁。姑、婆と女の一生は変化の連続です。

 

反対に時代が変わろうと男性は変わりようがない、働き蜂一本です。

 

変化が根本的に苦手なのです。

 

ただ、あまりにも急激な時代の変化に女性たちの心と体はバランスを欠いているのです。

 

 

謙虚、控えめに代わって自己主張、欲望が強く、行動的な女性が多くなりました。

 

これまで押さえられていた反動で「私はこう生きたい!」という女性の欲求はとどまるところを知りません。

 

最近は「草食系男子」とか「肉食系女子」という流行語も飛びかっていますね。

 

草食系男子とは、男性の女性化にもなりえない、精子も少ないいわば無性化した男性のことであり、「肉食系女子」とはいかにもギラギラ脂ぎった男以上のデキル女性のことです。

 

経済格差だけでなく男女格差がここまで出来てしまったのです。

 

女性の男性化は、時代の変化の最も大きな現象です。

 

彼女たちは身体は女ですが、心は男なのです。

 

私が前回ご紹介した「サヌキ女」なのです。男並みにいや、男以上に決断力、行動力があり、その地位も男性よりも格上になる女性たちは今後各分野で増える一方でしょう。そして何よりも女性が経済的な自立を手にしてしまったこと。

 

 

このことが女性の男性化に決定的な結果を生むことになったと私は感じています。

 

女性が経済的自立するとどのような時代の変化が起きるか?ということを世の男性たちは深く考えることもなく、経済成長のために女性の社会進出を許し小手先の女性活用の道を辿った結果なのです。

 

半世紀も前にWHO(世界保健機関)は「文明が進みすぎると母親が子育て下手になる、ついで家庭では夫を大事にしなくなる」という警告(?)を発していたそうです。

 

どうでしょう。

 

子供をちゃんと育てられない母親やいじめ、虐待は増え、夫たちは濡れ落ち葉と言われるようになり、離婚や結婚しない女性も増え、小子化現象は今や深刻な問題となっているのです。

 

女性にとっての経済の自立は、夫や男に頼らなくても生きていけるというパスポートを手に入れたも同然だったのです。それはこれまでの男性や世間の抑圧を吹き飛ばすほど、女として、人として自由に生きる直接の手段だったのです。

 

お金の問題は人の生き方に大きく関わってきます。

お金さえあれば、夫や姑に気兼ねせず欲しいものを買える、このことは精神的にも女性の自信につながっていき、欲望、願望はとどまるところを知らず今や天井知らずです。

 

弱きもの汝の名は女なりという神話は崩れ去り今では「弱きもの汝の名は男なり」が当たり前の時代の風潮になりつつあるのです。

 

数年前、新人研修でフィールドワークの時、女性が男性をおんぶしてゴールに入ってきた光景に唖然としたものですが、最近聞いた若い女性の話では、「車でデートの時、運転席に座るのは私、彼は助手席、レストランでの支払いは私、あるいは割り勘です」と聞いてびっくり。彼女は専門の職業を持っており、高収入。イジイジしている彼より私の方が運転上手いし、私だって稼いでいるし、とのこと。「じゃあ、彼との結婚は?」と私。「うーん、結婚までは踏み切れないんですよ」と彼女は目がうつろになってしまうのです。

 

こんな男と女の関係も若い世代では普通になりつつあるのですから、少子化が進むのも無理ないのですね。

 

「男女平等」「男女雇用均等法」で、能力と努力しだいで女性の職場進出はあらゆる分野に及び、政治の場でも発言力は増しています。

 

おまけに、昨今は子供手当て施策が施行され、夫だけに頼らずとも国までがサポートしてくれるのです。

 

企業の現場でも、「バリバリ仕事できるのは女性、企業活性化のためにも肉食系女子の積極的活用を考えています」と安易に言ってはばからぬトップの声も聞こえてきます。

 

女性にとってはやっと手に入れた自由と経済の安定です。まさに「わが世の春」といいたいのですが得れば失というバランスの法則通り、女性が自由や経済と引き換えに失ったものも大きいのです。

 

子育てしながら男性以上に働き、収入を得るために身体はぼろぼろ。競争や便利さのために失ってゆく温かい人間関係の絆、老後への不安・・・・あまりにも急激な時代の変化に女性たちの心と体はバランスを欠いているのです。

 

身体は、自律神経失調症、ホルモンのバランスの崩れ、婦人科系の病気なども増えて、女性自身の心と体が危機に陥っているのです。

 

れでは、女としての機能、母としての機能のバランスの崩れないわけはありません。

このような女性の急激な変化にもともと気弱い日本の男性が翻弄されないわけはありません。

 

私は、長年企業や行政の人材育成に携わってきた者として、お題目だけの「企業は人なり」でお茶を濁してきたツケが今廻ってきていると感じています。

 

人間とは何か、女性とはどういう存在か?

また男性とは?

という根源的なことを深く知らないまま経済競争に走った結果、人間そのものが、特に女性の心と体に歪みが出てきているのです。

 

結果、子育ても歪、家庭もあたたかい安らぎの場でなくなり、次代を担うべき若者や子供たちへも様々な影響がでてきているのです。

 

私が母性型原理、マザーポートを通じてお伝えしたいことは、

 

日本は古来「女ならでは開けぬ国」母性型の国で独自の文化、歴史を築いてきた国だったことをもう一度見直す時期ということです。

 

私たちが良かれと思って取り入れてきた西洋からの「男女平等」「成果主義」などは根本的には私たち日本人には合わないものだったのです。何故なら民族が違う、ということです。

 

アメリカは単一民族で、まじめに働く人が多い日本と違って人種のるつぼ、人種差別、価値観もさまざま。働く能力の差も大きい。

 

そんな中で効率を上げるには管理、抑圧型の評価方式にならざるを得なかったのです。

 

つまり、アメリカのシステムはアメリカにとって必要だったので、日本人にとって必要なのかどうかは別問題なのです。

 

男女平等も然り、それぞれの民族の違い、遺伝子の違いがあることを考慮にいれて導入しないと、男女の特性が失われてしまうというとんでもない現実になるのです。

 

「男と同じようになること」を目指したり「私も働いているんだから家事、育児も男もやるべきよ」と自分と同じ行動や考え方を強要してしまったり、反対に職場では男女平等だから女も男並みに働いて当然というのも女の特性を知らない企業本位の考え方も必ず行き詰るのです。

 

もう一度声を大にして言いましょう。急激な変化の時代に生き残るためには、変化に強い女性に見習うべきだと。女性といっても肉食系女子(サヌキ女)ではなく、いのちの根源としてのアワ性の特性でしなやかに相手を受け入れていき、環境順応型の母性型原理を職場や家庭、地域に浸透させたいということが「母性型」マザーポートの願いなのです。